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*イベントコーナー*

【10月〜12月のイベント】
-井手寿謙氏-
2012年10月26日から12月20まで郷土の先学者。「井手寿謙展-野岳遺跡と日本旧石器研究の黎明」を開催しました。同時代に活躍した学者との接点などの展示も致しました。

井出寿謙展
井手寿謙コレクション
石錐、台形石器石匙等
東彼杵町出身の先学者
「井手コレクションの整理術」- 石器の種類又は遺跡ごとに糸で巻きつけて。
石錐、掻器、台形石器、石匙等(旧石器時代・縄文時代)
井手寿謙氏家族と写真
井手寿謙氏住職時代
井手寿謙氏発掘調査の七つ道具
1936年頃、家族と本地寺の庭で撮った。
1991年本地寺に於いて老衰のため死去享年83歳
生涯表採した土器・石器は約1万点。
   

硬玉製大珠「翡翠製」

細石刀と細石核 井出寿謙氏が主に表彩した場所
硬玉製大珠「翡翠製」長さ9cmの優品
考古学的に大変貴重な細石刀と細石核
井手寿謙氏が主に表採した場所
     
-東彼杵町出身考古学者 井手寿謙氏の生い立ち-  1908年〜1991年 享年83歳
1908年(明治41年)
3月28日
父 井手寿峰(長崎県東彼杵町出身 生月町 日蓮宗玄祥院住職)
母 【副島】アイ(佐賀県多久市出身)
長男 貢(みのる)として、長崎県鹿町町に生まれる。
1920年(大正9年)3月 12歳 生月小学校尋常科 卒業
同年 6月  父 寿峰の本地寺住職着任に伴い、東彼杵町木場郷へ移転。同時に千綿小学校高等科へ転入。
1922年(大正11年)3月 14歳 千綿小学校高等科卒業。 卒業後、2年間は本地寺において僧侶として修学と古典・漢文を独学で学ぶ。
1924年(大正13年) 16歳 旧制大村中学校(現在・大村高校)入学。 この頃、東彼杵町里郷串島ノ鼻(くしのしまのはな)から出土した石棺の現場調査を見学しました。黒板勝美東京大学教授が中心となって調査が行われ、井手氏は「考古学」という学問に基づいた現場調査を見学し、考古学に興味を持ち学びたいと心に決めました。
生涯、僧侶の世界、考古学の世界で、三無主義(名無、位無、金無)を心がけました。
考古学活動については、要請のない限り論文は書かない、本は出さない、 講演や遺物の出展は要請があれば快く応じていました。
また、自らをアピールすることを望まない謙虚な生き方を貫きました。
-住職としてまた考古学者としての活動・活躍-
1929年(昭和4年) 21歳 旧制大村中学校を卒業。
1931年(昭和6年)3月 23歳 身延山専門学校(現在・身延山大学)を卒業。
卒業後得度し「貢みのる」を僧名「寿謙じゅけん」と改名。日蓮宗総本山久遠寺・宿坊で働きながら日蓮宗を学ぶ。
同年 4月 大阪立正学院に入学。
1933年(昭和8年) 25歳頃、僧侶の道を断念し、国語教師への道へ進みたいと両親に申し出たことがあった。
1934年(昭和9年) 26歳頃、本地寺へ戻り、父で住職の寿峰のもとで僧侶の務めについた。
1940年(昭和15年) 32歳 大村出身の、徳田モリと結婚。
1944年(昭和19年) 36歳 海軍航海学校に召集を受けた。配属先の茨城県阿見町で池掘り作業中、3000年以上前の縄文土器や垂玉(すいぎょく)を発見する。寿謙氏が所有する遺物の中で最も貴重な一つで大切に保管していた。
1946年(昭和21年) 樋口隆康教授が寿謙氏を訪問。
1948年(昭和23年) 父寿峰氏死去。寿謙氏本地寺住職となる、当時40歳。
1949年〜1954年
(昭和24年〜29年)
長崎大学が大村に設置。長崎大学講師として招聘され、定期的に講義を担当した。
  昭和20年代後半から寿謙氏を訪問する方が増加する。
1959年(昭和34年) 芹沢長介教授が、寿謙氏(本地寺)を訪問される。
1960年〜1965年
(昭和35年〜39年)
福井洞窟(佐世保市)発掘調査。
芹沢教授、鎌木義昌教授とを中心とした発掘調査に寿謙氏も(当時52歳〜56歳)加わる。この頃から寿謙氏の本棚に世界史や日本史に関する書籍が増えていく。
1964年(昭和39年) 鏡山猛教授が寿謙氏を訪門。
1965年頃(昭和40年頃) 岡山理科大学、鎌木教授グループ6名と寿謙氏による大野原遺跡(東彼杵町)発掘調査が行われる。寿謙氏57歳。
1970年〜1979年
(昭和45年〜昭和54年)
麻生優教授を中心とした泉福寺洞窟(佐世保市)発掘調査に寿謙氏も加わる。寿謙氏62歳〜71歳。
同年(昭和45年) 實島(みしま)長崎空港予定地の史跡調査(大村市)。寿謙氏が中心となり、複数回数調査。縄文土器片を表採する。寿謙氏62歳。
1971年(昭和46年) 東北大学・芹沢教授グループ6名と寿謙氏による野岳遺跡調査(大村市)を実施。寿謙氏63歳。
1975年(昭和50年) 寿謙氏は16歳から始めた表採活動を67歳頃終えた。約51年間の表採活動であった。
1980年(昭和55年) 長崎自動車道予定ルートの史跡調査(大村市、東彼杵町)。寿謙氏にとって最後の史跡調査だったと思われる。寿謙氏72歳頃。
1988年(昭和63年) 本地寺住職を退任。寿謙氏80歳。
1989年(平成元年) 考古学書籍と遺物一式を東彼杵町へ寄贈。寿謙氏81歳
1990年(平成2年) 長崎自動車道が開通。
1991年(平成3年)
4月5日
自宅(本地寺)において老衰のため死去。享年83歳。
1991年月5月 寿謙氏の考古学活動を永年支えてきた妻モリは寿謙氏が亡くなった一か月後に死去。享年72歳。

≪井手寿謙と同時代に活躍した考古学者の紹介≫ 
黒板 勝美
くろいたかつみ
1874年(明治7年)〜1946年(昭和21年)享年73歳。東彼杵郡波佐見町出身。
旧制大村中学校卒(現在・大村高校)、第五高校卒(現在・熊本大学)、東京帝国大学卒(現在・東京大学)。歴史学者。東京大学教授。
樋口 隆康
ひぐちたかやす
1919年(大正8年)〜北九州市出身。 
京都大学卒。考古学者。京都大学教授。奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所長。シルクロード学研究センター所長。
芹沢 長介
せりざわちょうすけ
1919年(大正8年)〜2006年(平成18年)享年86歳。静岡県出身。
明治大学卒。旧石器時代・縄文時代研究の第一人者。
鎌木義昌
かまきよしまさ
1918年(大正7年)〜1993年(平成5年)享年75歳。大阪市出身。
早稲田大学卒。旧石器時代・縄文時代研究の考古学者。倉敷考古学館。岡山理科大学教授。
鏡山 猛
かがみやまたけし
1908年(明治41年)〜1984年(昭和59年)享年76歳。静岡市出身。
明治大学卒。旧石器時代・縄文時代研究の第一人者。明治大学教授。東北大学教授。東北福祉大学教授。
麻生 優
あそうまさる
1931年(昭和31年)〜2000年(平成12年)享年68歳。東京都出身。
考古学者。国学院大学卒。千葉大学教授。



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