彼杵/そのぎ/東彼杵町/歴史/民俗/資料館/ひさご塚/古墳/前方後円墳/キリシタン/26聖人/長崎/長崎街道/文明ロード/シーボルト/浮立/浄瑠璃/祇園祭/大村湾/

*イベントコーナー*

 【9・10月のイベント】

8月31日から10月下旬まで大村藩・そのぎ町にゆかりのある画家、歌人の掛け軸を紹介してました。

掛け軸展の看板
荒木十畝
荒木十畝-2
廣瀬淡窓-1
広瀬淡窓-2
荒木十畝の絵 作品2点
広瀬淡窓の句 作品2点
山崎雲仙-1
川原悠々-1
川原悠々-2
三浦梧門-1
三浦梧門-2
山崎雲仙の山水画 
作品1点
川原悠々の句 作品2点
三浦梧門の水墨画 作品2点
 ≪作者の紹介≫
荒木十畝
(あらきじっぽ)
(1872〜1944)明治5年大村藩士、朝長兵茂の次男として生まれた。20歳の時画家を目指し上京、花鳥画を得意とする。

三浦梧門
(みうらごもん)
幼児の時から絵を好み、8歳で能く馬を画いたといわれた。鉄翁、逸雲と併せ長崎南宗画の三大家と称される。

山崎雲仙
(やまさきうんぜん)
(1796〜1871)17歳で大村出身の峯経山に漢画を学ぶ。23歳で江戸へ上り、3年間経山の師で長崎出身の鏑木梅溪の子雲潭に学ぶ。

川原悠々
(かわはらゆうゆう)
(1776〜1857)千綿に生まれるが、幼くして父を亡くし、他家で育ち、五教館に学ぶ。34歳で松島村横目を皮切りに14年間大村藩の色々な役職を歴任、しかし、病身のため48歳で川棚村の習書師に招かれる。その後、教育熱心な商人池田善五郎により、大村藩に懇願し、悠々51歳の時千綿村横目に任命される、53歳で代官となり、彼杵、千綿、江串村の3か村を治める。水車を設け、村人の便宜を図る、また堤を築いたりと農村の振興に力を尽くした。64歳で大村へ移り、京都の呉服商寿堂の訪問をきっかけに俳句を知り、67歳に江戸へ。ここで一流の俳人と交わり、俳諧で名声を上げる。82歳大村市須田の木自宅で没す。

廣瀬淡窓
(ひろせたんそう)
(1782〜1856)豊後日田の商家に生まれ、幼くして学才があった。24歳で儒学者となり、家塾を開き子弟は4000人を超えるほど。当時九州の大学といわれるくらいで多くの著名人を輩出した。淡窓は経を説いたり詩文をよくしていた。74歳没す。生前大村藩に招かれ千綿渓に遊んだ際その美しさに心を打たれ、溪谷全体を称し「まるで巨大な龍が横たわっているかのようだ」と評し「龍頭泉」と名付けられたと伝えられている。

Copyright (C) 2011 rekishi-higashisonogi All Rights Reserved