彼杵村でそれまでにもお茶は作られていましたが、「赤木原の茶畑」を最初は一人で開墾・拡大し、のちに中島榮村長も協力しました、その基を築いた偉人の歴史を、もっと多くの人に末永く語り継いでもらいたいという思いで、今回、東彼杵町役場でDVDと紙芝居を作られました。各学校や図書館に配布されていますのでそちらでも閲覧することができます。 |
茶業の先達−野田卯太郎(のだ うたろう)氏のプロフィール− |
元治元年(1864年)9月25日 |
佐賀県不動山村に生まれる。 |
明治21年(1888年) |
24歳の時、彼杵村に来て、鍛冶屋業の傍ら農業を営み、村の名工といわれた。 |
大正3年(1914年) |
茶園を開き、茶樹の栽培と製茶法の改良に取り組んだ。 |
昭和3年(1928年) |
御大典記念に赤木原の開墾を始める。 |
昭和6年(1931年) |
茶園が完成。茶業の改善と普及に務め、その発展に貢献した。 |
昭和8年(1933年) |
長崎県茶業研究会より表彰を受ける。 |
昭和9年(1934年) |
長崎県知事から表彰を受ける。 |
昭和16年(1941年) |
当時、農業界で最高の名誉とされた大日本農会総裁から有功章も贈与される。 |
昭和30年(1955年)10月22日 |
91歳の天寿を全うされた。 |
*野田卯太郎氏は晩年まで公共のために尽くしておられました* |